- 全か無か思考(all-or-nothing thinking) よくイデオロギー闘争のスローガンなどに見られる二者択一思考である。有名なものにPatrick Henryの"Give me liberty, or give me death!"などの言葉があります。Polarized Thinking、“Black and White” Thinking、二分法思考(dichotomous thinking)、悉無律などとも呼ばれます。しかし、実際の世の中は割り切れず、ミスチルのGIFTじゃないけど「白と黒のその間に無限の色が広がってる」わけです。
- 過度の一般化(over-generalization) "Never twice without thrice."(2度あることは3度ある)とは言いますが、1,2度失敗したからって、自分は失敗しかしないんだと一般化する必要はありません。エジソンのように“I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work.”と開き直ることが肝要です。
- 心のフィルター(mental filter) "Is the glass half empty or half full?"(コップは半分入ってるのか半分からなのか?)という有名な質問があります。同じ状態でも、人によって見方が変わってくるものです。
- 拡大解釈と過小評価(magnification and minimization) "Make a mountain out of a molehill"(もぐら塚から山を作る)という言葉があります。大袈裟に言う事の比喩ですが、自分について短所を拡大解釈したり、長所を過小評価したりは精神衛生上良く有りません。むしろ、Illusory superiority、above average effect、superiority bias、leniency error、sense of relative superiority、the primus inter pares effect、the Lake Wobegon effectなど色々な名称がありますが、世の中の大半の人が平均以上に優秀と思っているそうで、そのくらい自信過剰なくらいが、調度よいのかもしれません。
- 感情的決め付け(emotional reasoning) 感じたことを事実と思ってしまうこと。
- マイナス化思考(disqualifying the positive) 自分にとってよいことも裏を勘ぐってマイナスのことに考えてしまうこと。天邪鬼な皮肉屋さんてところでしょうか。
- 結論の飛躍(jumping to conclusions)相手のことを読み過ぎたり(mind reading) 未来のことを予測(the fortune teller error) したりして、それを事実と思い込み、空回りすること。
- すべき思考(should statements)物事をするときに、「~すべき」、「~しなければならない」という強迫観念に似た切迫感や焦燥感に駆られてしまうこと。Albert Ellisは"masturbation"に擬えて"musturbation"と呼んだ。その程度を和らげて、「~したらまし」といった具合に解釈するのがましで、さらには「~したい」と外部強制的でない内面的な動因の高まりへの置き換えです。
- レッテル貼り(labeling and mislabeling) シェークスピアの「ハムレット」に"Frailty, thy name is woman."(弱き者、汝の名は女なり)という言葉がありますが、自分で自分のことを負け犬、負け組、落伍者などのレッテルで自分を括ってしまうこと。
- 個人化(personalization) "Remorse is lust's dessert."(自責は欲望の次)という諺の言うとおり、通常は、食欲、睡眠欲、性欲など基本的な欲求が満たされないと、他人に対する思いやりや自己反省などの余裕はないのが普通です。しかし、大切な人を失うなどのストレス下では無用な自責の念に苛まされることがあります。この過度の自責を個人化と言うそうです。
と書いていて、うつ病の方は基本的に無力な自意識過剰状態にあるのかもしれないと思いました。社会における"one of them"感の喪失と言い換えてもいいかもしれません。そして、自己に執着して、意識上の人間の数 n が少なくなると、正規分布的な考え方が二項分布的になってしまうのも仕方が無いかもしれません。しかし、これは病気の原因なのか、それとも結果なのか難しいところです。老化により世間とのチャンネルが減ることや痛みにより「今、ここ」に繋ぎ止められることが、うつの引き金になるのももっともなことです。そして、認知行動療法が、無我を謳う禅宗に近づいていくのも納得が行くのです。
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