2011年1月12日水曜日

Narrative Based Medicineの一例

 今日は、ナラティブ・アプローチの紹介の講義でした。社会構築主義をベースに文化人類学などで従来からなされていた社会を「言葉」、「語り」、「物語」という視点から見直すアプローチのことで、英国のプライマリ・ケアを担う医師たちにより医療にも導入された。1998年にBMJ Booksから発行された"Narrative Based Medicine-Dialogue and discourse in clinical practice"(Greenhalgh T & Hurwitz B eds, 1998)というモノグラフにより世界に広がり、日本語にも「ナラティブ・ベイスト・メディスン―臨床における物語りと対話」として訳され、現在では、DIPEx JapanなどのNPOの活動が現れるに至っている。
 今回は、家族への指導が不十分なまま退院して、在宅スタッフが苦労した一例を通じて、ナラティブ・アプローチの実際を説明頂いた。
【患者紹介】
70代女性。17年前に脳出血発症し、右マヒ、重度の失語を残す。
約1年の入院リハビリをうけて自宅退院した。その後、肺梗塞、胃食道静脈瘤や肺炎で何度か危機的状況になったが、のりきってきた。長期施設には一度も入ることなく、入院以外は16年間、自宅で夫ひとりが介護してきた。最初のころは屋内歩行していたが、徐々に力がおちてここ数年は歩行不能、起き上がりも介助になっていた。
2010年に肺炎で入院したさい、いままでやっていた介助でのポータブルトイレ使用は夫の負担が大きいと考えて、病棟スタッフは、退院後はベッド上の排泄介助にするよう夫にすすめた。
しかし、夫はベッド上排泄はかわいそうだと、うけいれず、介助でポータブルを使用すると主張して自宅退院した。退院後の訪問診療できくと、退院直後の数日は介助でトイレ排泄していたが、じきに夫も音をあげてベッド上排泄になっていた。ベッドでのおむつ交換や陰部洗浄などの介護指導は、入院中、夫が受け入れなかったため、退院後、訪問看護師が指導した。
家族に対して病棟スタッフが、もっときちんと指導してほしかったと、在宅スタッフから指摘された。病棟でも夫を説得したつもりだったが、家族が頑固だったのが原因だろうかと推測した。そこで、夫が、どんな気持ちで16年間、介護してきたのかインタビューしてみた。
【夫の話】
妻が26歳、自分が23歳のときに結婚した。
自分は農家の六男坊で、親からは名前以外、なんの財産もうけつがず、えらい貧乏で苦労した。自分は長距離トラック運転手をしていた。2人の子供を育てながら、妻(患者)は、昼間は学校給食、夜は寿司屋の手伝いをしていた。朝早くから夜10時まで自分以上に働いていた。そんな妻が倒れたとき、妻に苦労かけてきたと思ったし、自分が看なければと思って、すぐ会社の社長に話して、介護のため退職した。以後16年ずっと介護してきた。自分が飯つくって、自分が食わせて、それで喜ぶ妻をずっとみてきた。自分がやらないと、かわいそうとおもってしまうので、病院に入院しても1日2度は心配で顔をみに行ってた。死ぬまで自分がみるつもりだし、施設に預ける家族の気持ちは自分には理解できない。
【まとめ】
妻が死ぬまで家庭介護をつづけたいというのが家族の気持ち。その気持ちにそって今どんな介護をくみたてたらいいか、入院中に家族ともっと話し合うべきだった。そうすることで、家族に負担をかけずに長続きする介護のありかたが合意できたのではないかと思う。
 EBMが患者さんの問題にフォーカスするとすれば、NBMはその背景を描き出す手法で、双方を使うことで初めて患者さんの全体像が把握できるように思います。
 講義後は、糖尿病などの慢性疾患や医療メディエータへの応用について討論されました。