2015年4月20日月曜日

がん哲学外来

 先輩医師に誘われて、「新渡戸稲造とがん哲学外来」という講演会に出掛けて来た。講演の題を聞いて、内容の見当がつかないでいた。講演を聴いてすっきり。新島襄(1843-1890) の密航→ クラーク(1826-1886)の8ヶ月の札幌農学校での教頭→ 二期生としての内村鑑三(1861-1930)・新渡戸稲造(1862-1933)が出会ったクウェーカー教徒のmonthly meetingと遠友夜学校→ 南原繁(1889-1974)・矢内原忠雄 (1893-1961)が夢見た本郷通りのカフェ→ 樋野興夫先生(1954-)のがん哲学外来の系譜を表していたのだ。そして、その外来の内容は、30分ひたすら傾聴、お茶も出して沈黙にも付き合う。一通り話を聴いた後、20分、言葉の処方箋を提供する。その実例が、右の本である。講演では、新渡戸稲造、内村鑑三、矢内原忠雄、南原繁、吉田富三とのチーム医療と話されていたが、実際、本に書かれている言葉は、樋野與夫先生オリジナルの言葉が多い。引用では、内村鑑三が最も多く、読書会で新渡戸稲造の「武士道」や内村鑑三(かんぞう)の「代表的日本人」を採用していることもあろう。しかし、日本を肝臓(かんぞう)のような国にしたいという先生のユーモア(sense of humor)も勘ぐるが、どうであろうか。外来最後の10分は、患者との対話で締めくくるとのこと。目標は、問題解決ではなく、問題の解消というのは、宗教的な発想だ。しかし、処方される言葉は、宗教にとらわれず、禅やアドラー心理学、ユマニチュードの思想を思わせるものも多く、リベラルアーツを束ねる哲学を外来の名称に組み込んだ由縁であろう。先生が、強調しておられたのが、ロゴセラピーとも言えるこの外来で言葉以上に大切なのは、寄り添う心と暇気な風貌とのこと。忙しそうで、心を亡くした人には、傷ついて過敏になった心は開かれないとのこと。反省することしきり。

 個人的に、心に残った言葉を挙げておく。
  • 「あなたには死ぬという大切な仕事が残っています。」:武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり、の言葉を引くまでもなく、生きるということは、死に行くことということを再認識させてくれる。
  • 「人生は不連続の連続である。」:内村鑑三が帰国したクラーク博士を訪れた時、事業に失敗して失意にあった彼は、自分の人生は、札幌の8ヶ月だったと語ったそうだ。諸行無常ってことです。
  • 「孤独を友としましょう。」:パリ五月革命の時、壁の落書きにあったとされる言葉に "Solitaire d'abord solidaire ensuite et enfin."(まず孤独になり、次いでそして最後に連帯する)といったものがあったそうだ。
  • 「楕円形のようにバランス良く生きる」:1つのセンターを盲信せず、俯瞰と仰望、表裏など2つ以上の視点を持つこと。メンターは2人以上が良い。
  • 「寄り添う心は言葉を超える」:言葉が伝わらなくとも共有できる笑顔は、海外旅行の醍醐味ですね。映像や音楽は言葉を超えて人を感動させる一方、言葉に頼るお笑いはツボが文化によって異なります。
リンク
  1. 一般社団法人 がん哲学外来
  2. 武士道 (岩波文庫 青118-1)
  3. 代表的日本人 (岩波文庫)
  4. 後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)
  5. 南原繁著作集セット(全10巻)
  6. 余の尊敬する人物 (岩波新書 赤版 65)
  7. 癌細胞はこう語った―私伝・吉田富三 (文春文庫)
  8. Osler's Bedside Library: Great Writers Who Inspired a Great Physician (English Edition)
リンクの2-7は、「がん哲学外来のチーム医療」を支える偉人たちー参考図書リストから転記した。私も学生時代学群長であった胸部外科教授堀源一先生の講義で今も鮮明に覚えているのが、Osler's Bedside Libraryの話である。便利な世の中になったものでkindle版で編集されたものが入手できるようです。残念ながら、胸部外科の話はあまり記憶にないのですが、アインシュタインも言ってますね、"Bildung ist das, was übrig bleibt, wenn man alles, was man in der Schule gelernt hat, vergisst."(教育とは、学校で習ったことを全て忘れた時に残っているものをいう。)と。

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